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みどり共同法律事務所
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〒160-0023
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 コラム・弁護士 |
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流れの速い時代の中で その2 |
高橋 融 |
2006年2月 |

ホリエモンを若者世代のある面の代表と見て声援を送っていた妻は、ホリエモン事件は目くらましだという。あれだけ話題になった姉歯、ヒューザー、イーホームズの本質的な追及をはぐらかすための某筋の陰謀だというのだ。私もそんなことでなければいいがなと思いつつ、言論表現の自由、特に妻のそれを最大に尊重するわが家の憲法に従い、私は一考に及ぶ。
たしかに、姉歯、ヒューザー、イーホームズの事件はひどい。
こんなことがあってはならないと言うので、わたしたち全国の弁護士の結集体である日弁連は、1998年の建築法改正に当たって意見書を書いている。「建築確認・検査の民間開放は、きわめて問題である。すなわち、住宅は国民一般にとって高価な一生の財産であり、その欠陥は生命身体に重大な影響を及ぼし、社会問題となることもあるので、その安全性を確保するためには、例えば薬品行政と同じく、行政こそが、その安全性、とりわけ建物の最低限度の安全性に関する建築基準法令の規定が遵守されているか否かについて厳格な検査をすべき義務がある。したがって、建築確認、中間検査、完了検査のいずれについても、基本的には、行政が責任を負うべきである。」
法案によれば、株式会社も排除されていないので「そのような営利を目的とする株式会社が『公正中立』な立場を保持できるとは到底考えられない。また、手抜き工事等の欠陥住宅を生み出す建築業界の実態・体質、業者に依存せざるを得ない建築士の現状等を踏まえれば、民間の検査機関によりどれほどの効果が期待できるかは、甚だ疑問である。」
(全文は、http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/data/1998_1_000.pdf)
正にその危惧が当たったのである。しかし、国会やマスコミの話は行政や政治のことは大きく取り上げないまま、姉歯とヒューザーと被害者の話になっている。たしかにそこは問題の出発点だ。しかし、何時までもそこにとどまり、構造全体の話にはならないのである。時々おかしなことを言ったりしたりする石原都知事だが、この問題について都は毅然として、責任あるところが処理すべきだと言うが、これは正しい。
ホリエモン事件は、それでも大事件である。だから毎日毎日報じられる。 そこに書かれていることを読む限り、けしからんと思うのは人後に落ちない。しかし、弁護士は疑うことで成り立っている仕事であるので、簡単には納得せず、一考に及ぶ。 記者諸君は毎日毎晩、一体どこから情報を得て、「何々であることが分かった。」とトクトクと書いているのであろうか。各紙ハンを押したように同じことを報じているところを見れば、残念ながら独自の取材はなくて、地検特捜の垂れ流しをネタに書いているに違いないと先ず疑う。
うるさいことを言うようだが、特捜の情報垂れ流しについて考える。捜査当局は情報を独占しているが、これは公共のためであり捜査のためである。一見これを公共の情報として公共に流すことは自由に見えるが、捜査は秘密であることが命である。 公務員である捜査官は、公務員として秘密を漏らしてはならないことになっているのに、実際には、自陣に有利と見れば、未だ裁判で検証を受けないし、確定した事実でもない、また弁護側に反駁の機会を与えたこともない情報を、あたかも真実そのもののように垂れ流す。それでも、報道陣は飛びつかざるを得ない。読者・視聴者は情報に飢えており、捜査当局が一旦発表した事実は、あたかも真実そのものであるかのように、読者と視聴者に口移しにできる。捜査当局が発表した事実だから、それが事実であることにマスコミは責任を負わなくともよい。責任は問われないのである。これは、また情報操作ではないのかと疑うのは当然である。
私たちは誰も、忙しくその日その日を送っている。また、自分の仕事に集中することは、他を無視することである。とても、起こったことを一々覚えていられない。事件についても同じだ。直ぐ忘れられてゆく。
このような現実の中で、私たちの記憶のためのしおりになっているのが名前・固有名詞である。 ところが、近頃変なことが起こっている。
これもまたまた某筋の陰謀ではないかと議論する。 日本の判例集に載っている事件から次第々々に当事者名が消えて行くのである。甲野とか乙太郎とか、架空の名に置き換えられているのである。 アメリカなら、事件名は、民事事件はクレイ対ゴモラとか、刑事事件は人民または、ダコタ州対高橋とか、名前で呼ばれるのが伝統的な方法である。裁判は、基本は公開の法廷で行われることになっている。そして、ここで行われたことは、公開されたものであるから、原則として誰も自由に記録に接することができる。前は日本もそうなっていた。 ところが近頃は、日本ではこのことが守られなくなっているのである。必要があって裁判記録を取ると、そんなことまで何故と言うほど、黒く塗られていて読めない。 いつの間にか、たいした議論も行われぬまま、世の中でそうなっていることが多いのが大変気になる。大きく言えば、情報が大変操作されやすくなっているのである。
たしかに悪い奴が情報を盗むワザは、これでもかと言うほど恐ろしく上手になってきた。だから、このごろはできるだけ個人情報は公開したくないのが普通の市民の感覚だ。このプライバシィや個人情報保護に対するこだわりを逆手に取って、自由に接することができて当然だった裁判などの情報公開まで何時の間にか侵されているのではないかと、これもまた疑われるのである。難しい問題だが、正面から議論しなければならない重要な問題であろう。警察がこの犯罪情報を報道して良いかどうかを決める権限を持つようになると聞いて、驚きながら書いている。 |
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