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みどり共同法律事務所
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〒160-0023
東京都新宿区西新宿7-5-3
斉藤ビル4F
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 コラム・弁護士 |
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(一)
弁護士という仕事は、それだけでは何をやるかが、決まってこない。あることを心がけて、それを追及してきたか否かで、時が経ってみると大きく異なってくる、これは多かれ少なかれ、他の職業でも同じだが、とりわけ、弁護士はそれが大きいように思う。同じ弁護士なのに、これだけ違うか、と唖然とすることが起こるのである。人権弁護士、企業内弁護士、M&Aの達人、ヤメ検、悪徳弁護士、町弁・・・挙げて行けば限りがないほど、弁護士の世界は様々である。
それだけに、弁護士の心がけは、長い弁護士生活の中で、その弁護士を形成するのに、大きく影響する。沢山ある自由業の中でも、最も自由度が高いのが、弁護士だからである。それだけに、弁護士は、自分の現在の姿にいつも責任を取らなければならない。
このことについて、何回か書きたいと思うが、重い自己反省などはしばらくおいて、軽いところから始めよう。今、師岡弁護士がニューヨーク留学中だから、初めの話としては、英語とコンピューターあたりが、好いかもしれない。
(二)
英語は、だれでもやる受験英語である。高校のときにしごかれた短文暗唱が役だって、大学のときに若いアメリカ出身の駐留軍の神父と仲良くなり、彼と「何故、神父になったの」から始まって無神論や彼の考え方について、若者特有の人生論のディスカッションをしたりする中で、話をすることができるようになった。それ以来英語は話さなかった。大学では、東京裁判の弁護人をやった後日本に住んでいたブレイクニー先生の憲法を初め、英米法のゼミをはしごして、多少の知識を得た。
しかし、これは私の弁護士の仕事とは、長い間、全く関係がなかった。沖縄返還前に、人権問題の調査のために沖縄に行ったとき、米軍との折衝で多少役に立った程度だった。ところが、20年ほど前だったろうか、アメリカのかつての大船(だいふな)会社USラインズが倒産して、日本の従業員の退職金を確保して欲しいという依頼を受け、それならアメリカに行かねばならぬといって、ニューヨーク通いが始まった。仕事上英語が役だったのは、その時が初めてであった。ニューヨークの事務所の若い女性弁護士についてもらって、事件をやって、その中で実際のアメリカ法を覚えた。9。11で激突後倒壊したワールドトレードセンターの直ぐ側のボーリング・グリーンにある連邦破産裁判所で、弁論をさせて欲しいと言ったら、判事は私がアメリカでの資格がないのが分かっていながら、「地球を半周してきた弁護士さんに、言わせないわけには行きませんね」と言って、弁論をさせてくれ、その後ワールドトレードセンター内の債権者の事務所に行って折衝した。その結果、一年ほどかかったが、ほぼ全額につき退職金債権の優先性を認めさせ解決し、感謝された。このことがあって、英語は手離さないようにしようと思った。
(三)
当時ニューヨークに行って驚いたのは、世界各地から直接に入ってくるその情報量である。移民大国アメリカは、当時地下鉄やビルは落書きだらけ、不潔でゴミだらけで治安も悪かった。日本はバブルの走りで、タイムズスクエアのビルを買い取ったりして、鼻息が荒かった。しかし、あらゆる人種と民族が、その出身地からの情報源であり、これが飛び交っている。これと比べると、東京は巨大なイナカだと思った。このことは今でも変わらないだけでなく、この情報格差はさらに広がっている。単一の世界言語化した英語×移民大国=情報大国なのである。私は、今、この世界で英語が果たしている役割は何かを問われれば、ためらいなく、この情報上で果たしている役割を答える。
弁護士の仕事の要素はいろいろあるが、圧倒的にこの情報に依存している。英米の法文化は、この情報量とコンピューター技術との結びつきによって、極大と言っていいほど発展を遂げている。ここに、ニューヨークやロンドンに本拠を持つ巨大金融資本が世界を支配し、それとの関係で法律事務所が日本に流れ込んでくる原因となっている。
当時は未だ、インターネットはなかったから、国際通信はテレックスの世界であった。日本ではテレックスはほとんど使っていなかったのでこれは不便だから、私はファックスを入れてくれと、ニューヨークの事務所に頼んだら、怪訝な顔をされた。しかし、間もなく導入され、これは便利だと言うことになったのを、懐かしく思い出す。
(つづく) |
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