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コラム・弁護士

 
   

「最低生計費」と「生活保持義務」

後藤 富士子

2017年9月

弁護士 ・ 後藤 富士子

1.結婚・離婚と扶養義務

民法730条は、「直系血族及び同居の親族は、互に扶け合わなければならない。」と訓示的に定めている。また、民法877条1項は、「直系血族及び兄弟姉妹は、互に扶養をする義務がある。」と定め、同条2項では、特別の事情があるときには家庭裁判所が三親等内の親族に扶養義務を負わせることができるとしている。そうすると、配偶者は、「同居の親族」である限りにおいて道義的な「扶け合い」義務があるものの、同居していても民法877条の具体的な扶養義務は生じないことになる。すなわち、民法877条は、夫婦間以外の扶養義務者の範囲を定めているのである。

一方、民法752条は、「夫婦は同居し、互に協力し扶助しなければならない。」と規定し、夫婦間の扶助義務を定めている。また、民法760条は、「夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担する。」と規定しており、これが「婚姻費用の分担」である。しかるに、これら夫婦間の規定は、婚姻生活が平穏なうちは意識されることがなく、「別居」状態になって初めて顕在化する。すなわち、離婚が成立すれば「夫婦」でなくなるが、別居しても離婚が成立するまでは「夫婦」だからである。

ところで、扶養義務には講学上「生活保持義務」と「生活扶助義務」があるとされている。「生活保持義務」とは、夫婦間や親の未成熟子に対する扶養のごとく、扶養することがその身分関係の本質的不可欠的要素であり、一体的な生活共同がその基盤にあり、扶養義務者が扶養権利者に自己と同程度の生活をさせる必要がある扶養義務をいう。これに対し、「生活扶助義務」とは、扶養をすることが偶然的・例外的現象であり、その他の親族間の扶養のごとく、扶養がなくともその身分関係が成立し、扶養の程度は扶養権利者が生活に困窮したとき、扶養義務者が自己の地位相当な生活を犠牲にすることなく給与し得る生活必要費だけでよい扶養義務をいう。

そこで問題になるのが、夫婦が別居した場合の婚姻費用分担や離婚後の別居している子の養育費である。これらの場合、「一体的な生活共同」がその基盤に存在しなくなっている。とりわけ、離婚後は単独親権が強制されるから(民法819条)、ある日突然に妻が幼子を拉致同然に連れ去って離婚請求してくる事例が多発しているが、このようなケースでも「婚姻費用分担」=「生活保持義務」の問題になるのだろうか? また、こういうケースでは、離婚後の親権者は母となるが、居所も秘匿し、面会交流もできないのに、父は、「生活保持義務」の養育費を母に支払わなければならないのだろうか?

2.「兵糧攻め」から「婚費地獄」へ

現行家裁実務では、離婚前の婚姻費用分担について、双方の収入だけを基準にし、しかも単年度で消費することを前提にして、「生活保持義務」を数値化した「算定表」で処理されている。そこでは、住宅ローンの支払は、婚姻費用分担について考慮されず、離婚に伴う財産分与の問題とされる。また、児童手当や児童扶養手当は「収入」にカウントされない。すなわち、二世帯に分離された婚姻家族の実際の資産や収支を度外視した金額が決められることになる。そうすると、夫にとって、最初から支払不能な金額であったり、自らの生活レベルを下げなければ支払えないことになる。

かつては、夫が無職の妻に離婚を強要する手段として「兵糧攻め」をしたのに対し、無責の妻を救済するために、「生活保持義務」=「婚姻費用分担」を夫に命じたのである。

これに対し、昨今は、ある日突然に妻が幼子を拉致同然に連れ去って離婚請求し、同時に婚姻費用分担請求をする。この場合、妻には、婚姻共同生活を維持する意思がないし、客観的にも婚姻共同生活の継続を不可能にしている。それにもかかわらず、妻は「算定表」での婚姻費用を請求し、調停委員会は「審判になれば算定表の金額になる」として、夫に合意を迫る。夫は、自らの家計状況に照らし、算定表の金額は支払不能であることを明らかにし、調停委員もそれは認めるのに、合意できないと審判に移行するのである。一方、妻は、家計状況を明らかにしようとしないから、夫は、できる限りの金額を支払おうとする意欲を喪失する。収入がない妻でも、結婚前の貯金などの特有財産や、実家に住んで家賃がかからないなどの事情は勘案されるべきである。ちなみに、自己破産申立事件で用いられる書式「家計全体の状況」では、「収入」として、「生活保護」「児童手当」「他の援助」の項目があげられているし、支出も実態が計上される。

こうして考えてみると、このような妻が夫から「生活保持義務」=「婚姻費用分担」を得るとしたら、まるで「当たり屋」ではないか。それは、婚姻のモラルハザードにほかならない。したがって、このような場合、夫が自己の地位相当な生活を犠牲にすることなく給与し得る生活必要費だけ払えば足りる「生活扶助義務」とすべきであろう。

3.「最低生計費」と「生活保持義務」

憲法25条1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定めている。ここで「最低限度」が問題になるが、最低賃金制の議論を参考にしてみる。

中央最低賃金審議会における最低賃金の改定審議のために全労連が各地で行った最低生活費の試算に関し、25歳男性をモデルにした埼玉労連の調査によると、最低生計費は、税抜きで19万824円、税込みで24万1879円である。働く貧困層(ワーキング・プア)が増える中で、人間らしい暮らしを支える水準にすることが求められているところ、「生計費」は、日常の生活を維持するうえで必要な費用であるが、人間らしい生活を送るうえで必要な最低生活費を、消費支出(食費、居住費、光熱水費、家具・家事用品、被服、保健・医療、交通・通信、教育、教養・娯楽、その他冠婚葬祭費など)、非消費支出(社会保険料、税)、予備費(消費支出の1割)などの項目ごとに調査して、試算している。

そうすると、税込月収24万円以下の夫は、「生活保持義務」であれ、「生活扶助義務」であれ、妻に支払うことはできない。妻は、生活保護などの社会保障制度を利用すべきである。 ところが、「算定表」の思想では、「私的扶養」が「公的扶助」に優先するとして、夫をも最低限度以下の生活に追いやってまで、「生活保持義務」=「婚姻費用分担」を貫徹させる。そして、面白いことに、日弁連は、「子どもの貧困」問題の解決を理由にして「新算定表」を提唱しているが、それは、子どもを連れ去った妻への婚姻費用や養育費の支払額を現在の算定表よりも高額にするものであり、「夫または父の貧困化」を省みない。

かつて、離婚は、男性にとって生命・健康に打撃を与え、女性には貧困をもたらすと言われていた。母子家庭(シングルマザー)に対する福祉政策が充実したのも、そのためである。しかし、終身雇用、年功賃金制が壊れて久しい現在では、男女を問わず、貧困が離婚の原因になっていたり、離婚が貧困の原因になっていたりしている。それにもかかわらず、社会福祉予算が大幅に削減され、貧困についても「自己責任」が強調されている。このような社会情勢の中で、憲法24条1項が定める「両性の本質的平等」と「個人の尊重」を指導原理とした婚姻生活が営まれ、また、離婚についてもその原理が貫徹されるために、妻が夫を収奪する構造を改める裁判がされるべきであろう。

 

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