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コラム・弁護士

 
   

韓国の徴用工問題に関する大法院判決についての日本国内の論調が、完全に間違っている

穂積剛

2018年12月


弁護士 ・ 穂積 剛

1. 徴用工の韓国大法院判決に対する論調 

韓国の大法院(最高裁判所)が、新日鐵住金を被告としたいわゆる「徴用工」による損害賠償請求事件で、この10月30日に下した判決について、日本国内から激しい批判の声が噴出している(大法院は11月29日にも、三菱重工に対し同趣旨の判断を下した)。その内容はほとんどすべてが、この判決の判示が1965年に日韓で締結された「請求権協定」に反するもので、安倍首相に言わせれば「国際法に照らしあり得ない判断」だと指摘するものである。

 しかし、この問題に以前から取り組んできた私の立場からすれば、この判決は意外でも何でもない。むしろ法律論的観点からするとこの判決は、日本の最高裁判決での論理と、それほど相違のない判断が前提となっている。以下、この判決批判についてその誤りを指摘することとしたい。

 なお、このような国内の論調が誤っていることについては、11月5日付で弁護士有志が声明(PDFファイル)を発出している。私も賛同人としてこれに名を連ね、記者会見にも同席したので紹介しておく。

 

2. 司法権の判断を立法機関・行政機関は制御できない  

日本の論調においてもっとも首肯できないのは、このような大法院がこんな判決を出すような韓国という国は、いったいどういう国なんだという批判のあることだ。

しかしそのような批判は、法律論的には完全な誤りである。

欧米諸国はもちろん、日本や韓国は三権分立の国だ。人権尊重を至上命題として、民主主義に基づき立法機関が法律を作り、その法に基づいて行政機関が行政を担当する。しかしそれだけだと少数者の権利が侵害される恐れがあるので、司法機関が憲法と法律に基づいて法解釈を行い、立法機関や行政機関はその判断に従わなければならない。これが近代立憲主義であり、行政機関の長である首相や大統領と言えども、司法の判断に従わざるを得ない。

そもそも、立法機関や行政機関が司法機関の判断に口出ししたり、これを制御しようとすることなど許されないのだ。

したがって、文在寅大統領に大法院の判断を何とかしろというような論調は、そもそも三権分立を理解していないとしか言いようがない。

例えば日本国憲法76条3項は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定している。拘束されるのは憲法と法律のみであり、それ以外によって判断が左右されてはならない。条約もこれに含まれるが、しかし条約の文言を解釈するのもまた、裁判官の専権事項である。大統領がどうこうできるような話ではない。

こんな主張が許されるなら、日本の最高裁の判断はアメリカの世論によって条約の解釈を変えなければならなくなるだろう。そんなことをすれば、それこそ文字通りの「国賊」「売国奴」になってしまう。そんな話が許されるはずがない。

むしろ行政機関とは異なる判決を司法機関が毅然と示すことは、三権分立の理念が機能していることを証明するものであり、立憲主義国家として極めて健全な証左である。日本の最高裁のように、司法機関が行政機関の追随ばかりしている方が、立憲主義国家としてのグローバルスタンダードから言えば明らかに異常なのである。

 

3. 国家間の条約で個人の権利は消滅させられない 

日韓の請求権協定には、「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益と両締約国及びその国民間の請求権に関する問題が1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条?に規定されたことを含め、完全かつ最終的に解決されたことを確認する」との文言がある。

しかしこの文言をもって、被害を受けた個人の賠償請求権を消滅させたものと解釈することができないというのは、今回の大法院判決はもちろん、日本政府及び日本の裁判所が一貫して認めてきたことだ。

例えば広島の原爆被害者が、本来であれば米国が賠償責任を負うべき原爆投下の被害について、サンフランシスコ講和条約によって賠償請求権を国が放棄してしまったから、日本政府に対して損害賠償を請求した。この事件で日本政府は、サンフランシスコ講和条約で放棄したのは外交保護権、すなわち被害者のために日本国が外交手続によって加害国に救済を求める権利のことだけであって、請求権自体は残っているのだから、自分で米国に請求すればいい、だから日本政府は賠償請求権を負わないと主張しきてた。

シベリア抑留者が、日ソ共同宣言によってソ連に対する賠償請求権を日本政府が放棄したから、その賠償を日本政府に求めた訴訟でも、日本政府は同様の主張を続けてきた。

国会答弁でも同じで、日韓請求権協定での「完全かつ最終的に解決された」の解釈について、柳井俊二条約局長は「これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということ」であり、「いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」と述べている。これが日本の外務省の、一貫した答弁であった。

 

4. 韓国大法院判決と日本の最高裁判決との相違 

今回の大法院の判決はこれをさらに越えて、そもそも日韓請求権協定の範囲内に、もと徴用工らの加害企業に対する慰謝料請求権は含まれていないとした。そのため、請求権どころか外交保護権の放棄すらしていないという判断となっているが、仮に日韓請求権協定の範囲に含まれていたとした場合でも、やはり外交保護権の放棄という効果しか発生しないことについては、今回の大法院判決でも同じである。この大法院判決は、2012年5月24日の同一事件での大法院差戻審判決の続きだが、この2012年の判決にはそのことが明記してある。

このように、日韓いずれの立場でも、請求権協定締結の法的効果としては、外交保護権の放棄しかもたらさないというのが、法律論としての帰結となっている。

ただし一点だけ、日本の最高裁判決が異なる判断を示した部分がある。それは、2007年4月の中国人強制連行・強制労働に伴う西松建設事件で最高裁が示した判示である。その内容は、「サンフランシスコ講和条約の枠組み」なる概念によって、被害者が加害国における裁判所で「裁判上訴求する権能」が失われたという考え方であった。

すなわち、「ここでいう請求権の『放棄』とは、請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせるにとどまるものと解するのが相当である」と判示した。簡単に言えば、請求権自体は残存しているけれども、判決でその支払を命じることまではできない、という解釈である。

これは、強制執行まではできないが権利自体は存在しているという概念で、講学上では「自然債務」と表現されることが多い。

 

5. 当事者による解決促進の付言 

その上でこの最高裁判決は、最後に次のように付言していた。

「サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいても、個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないところ、本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人は前述したような勤務条件で中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け、更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである。」

要するに、裁判所は協力しないけれども、損害賠償請求権自体は残っているのだから、当事者間で話し合って賠償実現に向けて努力しろ、と最高裁が述べているのである。

自分は協力しないと言っておいて無責任な限りだが、しかしきちんと賠償して解決するようにと指示していることだけは評価できる。

そうであれば、今回の新日鉄住金の事件でも、関係当事者間で積極的に話し合いをもって、賠償金を支払う方向で解決すべきではないのか。

 

6. 最高裁「付言」に基づく和解解決 

今回の訴訟の原告たちが、通常では考えられないような劣悪な環境で重労働を強いられた被害者であったことは明白だ。

それを利用したのが、新日鉄住金などの加害企業であったことも明らかだ。

これは強制労働(ILO条約違反)や奴隷労働にもあたるような、重大な人権侵害である。

そうであれば、その被害を救済すべきなのは当然だと言わなければならない。

実際にも西松建設は、上記の最高裁判決を受けて、被害者たちに対して謝罪するとともに、基金形式による和解を実行した。

これまでにも、鹿島建設が中国人に対する「花岡事件訴訟」で謝罪して金銭を支払って和解しており、また日本冶金も「京都大江山訴訟」で謝罪して、中国人被害者らに解決金を支払って和解した。

さらに三菱マテリアルも中国人の強制労働・強制連行事件に関して、同じく被害者たちに謝罪して基金を設立する方法で現在も話し合いが行われている。

このような形による解決を、韓国の元徴用工らとのあいだでも実施すべきである。

当然にやるべきこうした解決のための努力を、あまりに長期にわたっておろそかにして放置してきたために、被害者たちが痺れを切らして法的救済に訴え出てきたのが今回の徴用工の訴訟なのだ。それなのに、加害者の側である我が国において、こうした被害者たちの救済の訴えを突き放すような論調が主流となっていることに、同じ日本人として心から情けなく思わざるをえない。わが同胞である日本国民には、道義的に誇りに思うような対応をしてもらいたいと切に願う。

 

7. ドイツにおける『記憶・責任・未来』基金による解決 

ドイツの過去に向き合う姿勢が、日本などに比べればずっとまともであることは周知のとおりだ。

それでも、ドイツの戦後補償が万全という訳ではない。そうではないが、ドイツは解決のため確かに努力を重ねている。

ドイツでも強制労働を強いられた被害者たちが、1990年代にアメリカなどでクラスアクションを起こした。

この訴訟で初期に出た判決では、確か請求は棄却されたと記憶している。

しかしドイツの、被害者救済に向けた動きは速かった。

ドイツでは2000年に『記憶・責任・未来』財団が作られ、政府と企業が半額ずつ拠出する形で100億マルクが集められて、100カ国以上160万人以上の被害者に対し、合計40億ユーロ以上(日本円で7000億円以上)の補償が支払われたのである。

こうした基金の設立を、日本でも急ぐのが加害者の側としての当然の責務ではないのか。

 

8. ICJ 

これに対して日本政府は、この問題をICJ(国際司法裁判所)に持ち込むことを検討しているという。

ICJは、国家のみが申立のできる国連の司法機関であり、ICJの管轄を受け入れることでその審理を受けることができる。

日本も加盟している国連憲章94条は、「各国際連合加盟国は、自国が当事者であるいかなる事件においても、国際司法裁判所の裁判に従うことを約束する。」との条項があり、判断が示されればこれを尊重せざるを得なくなるだろう。

もっとも現状では、韓国側がICJの審理を受け入れないのではないかと想定されているようである。

しかし、本当にそうだろうか。

事案は少し違うが、イタリアの戦時捕虜がドイツを被告として、イタリア国内の裁判所に対して損害賠償を求めた事件をICJが判断した事例がある。

本来であれば国家は対等で独立しているから、ある国家が別の国家の裁判所で被告にされることはない。これを「主権免除」という。

ところがイタリアの裁判所は、本件が重大な人権侵害の事案であり、そのような場合には「主権免除」が排除されるとする「ユス・コーゲンス」という法理を採用して、ドイツに対し損害賠償を命じた。ドイツ側がこれを不服として事件をICJに申し立て、イタリア側も同意したのでICJの事案となった。ただしここで争われたのは、この「主権免除」排除の可否だけである。

 

9. ICJの判決内容 

これについてICJはドイツの訴えを認め、「ユス・コーゲンス」は認めずに、「主権免除」原則を採用した。つまり、ドイツという国家がイタリアの裁判所で裁かれることはないと判示したものである。

形のうえではドイツの訴えが認められたものだが、判決文のなかでICJは次のように指摘している(金澤康平氏の仮訳を一部修正)。

「ドイツはイタリアの軍収容者による請求のほとんどを国家補償計画の範囲から除外した。圧倒的大多数の軍収容者は実際に、ナチス当局から戦争捕虜としての取扱いを否定されていた。それにもかかわらず、2001年、ドイツ政府は軍収容者が戦争捕虜の法的資格を持っているとして、救済の権利を否定した。裁判所は、ドイツが補償を否定することを決めたのは、驚くべき、そして残念なことと考える。

「裁判所は、イタリアの軍収容者の取扱いから生じる請求は、他のイタリア国民のいまだ解決していないと主張されるような請求とともに、問題を解決する目的で、更なる交渉の問題となりうると考える。」

「ドイツが第二次世界大戦中に行われた戦争犯罪や人道にたいする罪について、いまだイタリアあるいはイタリア国民に対して責任を負うかどうかの問題は、ドイツの免除を受ける権利に影響を与えない。同様に、裁判所の免除の問題に関する決定は、ドイツが持っているかもしれない責任に影響を与えない。

この判示によればICJは、主権免除の問題はともかくとして、ドイツが賠償責任を果たすべきだと理解していることに間違いはないだろう。

そうだとすれば、ICJに持ち込んだところで日本政府の主張が認められると言える根拠はどこにもない。

この問題に詳しい山本晴太弁護士は、ICJに持ち込めば韓国側の主張が認められるのではないかと指摘している。

 

10. 解決のためのICJ利用 

韓国の方の主張が認められる可能性が相当程度に高いのであれば、むしろ韓国側が同意してICJに持ち込んでしまえばいいと私などは思う。

日本側がICJに持ち込むと言っている以上、ICJが賠償を認める判断をしたなら日本側は従わざるを得ないだろう。

そのことによって日本側が賠償に応じざるを得なくなり、日本側で基金を作って補償を実現できるのであれば、それは甚大な被害を被った被害者たちはもちろん、国際社会における日本の名誉にとっても極めて喜ばしいことだからだ。過去の責任に頬被りして、見て見ぬ振りばかりしている非人道的国家という汚名を少しでも晴らすことができる。

今の日本はむしろ逆に、慰安婦問題に典型的にみられるとおり、加害の事実自体が否定されるまでに事実認識がおかしくなってしまっている。このような日本の対応が、国際社会におけるこの国の評価をどれほど引き下げているか、もう少し真剣に考えた方がいい。

 

11. 基金方式による解決 

この件についての検討する建設的な論考のなかには、日韓請求権協定3条の仲裁委員会制度を利用することによって、最終的には基金方式で解決するしかないのではないかと指摘するものがある。実際の損害額全額を各企業が賠償することは、今となっては現実的ではない以上、最終的にはドイツと同じく基金方式での和解しかあり得ないだろうと私も考える。

被害者の命があるうちに、一刻も早く日本政府と企業の責任において基金を設置して補償を実現し、それによって国際社会における日本の名誉が高まることを心より期待したい。

 

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