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コラム・弁護士

 
   

慰安婦問題は「解決」などしていない

穂積剛

2016年1月


弁護士 ・ 穂積 剛

1. 慰安婦問題に関する「日韓合意」  

昨年末の12月28日、岸田外務大臣が韓国の尹炳世外交部長官と会談を行い、共同記者会見にて慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的解決」を表明した。

その内容としては、日本政府として
@「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた」事実と責任を認め、安倍首相が「心からおわびと反省の気持ち」を表明すること、
A韓国政府が設立した財団に日本政府が10億円を拠出して元慰安婦に対する支援活動を行うこと、これにより日韓両政府が慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的」解決を確認する、というものである。

私はこの報道が速報で流れたとき、これはなにかの悪い冗談ではないかと思った。こんなもので慰安婦問題が解決することなど金輪際あり得ず、むしろさらにこじれるだけになることが容易に想像できたからである。案の定、韓国国内の元慰安婦たちが抗議の声を上げるにつれ、韓国国内の世論はこの「最終解決」に批判的になりつつある。当然であろう。これは韓国政府の、完全な外交的失策である。

. 平頂山弁護団での活動

平頂山事件遺骨館内部私たち「中国人戦争被害賠償請求事件弁護団」は、1995年から戦後補償問題に取り組み続けており、現在もその活動を継続している。そうした中で弁護団は、一貫して「謝罪とはなにか」という問題を考え続けてきた。私の所属する「平頂山事件弁護団」はそのなかでも、欧州での戦後補償問題の取り組みから学ぶため、数年前からナチスドイツによる住民虐殺事件の現場を訪問する活動を行っている。ギリシャ・ディストモ事件、イタリア・チビテッラ事件、フランス・オラドゥール事件などの現場である。そして昨年は実際にドイツに足を運び、ドイツがどのように過去と対峙しようとしてきたか、その一端を見てきた。

これらの現地調査活動は極めて教えられるところの多い問題で、謝罪とは何なのか、侵略国家と被害国家との和解内容はどうあるべきなのかについて、たいへん深く考えさせられた。

そうした考察の結果については、昨年9月に明治大学リバティタワーホールで行われた『戦後70年・日中関係の未来をひらくつどい』において、「『平頂山事件』の解決を考える 〜国家と国民の『謝罪』とはなにか〜」と題して報告させていただいた。この講演の中心部分については、日本民主法律家協会の機関紙『法と民主主義』の2015年11月号にも論考を掲載した

. フランス・オラドゥールで受けた「衝撃」

フランス・オラドゥールの廃墟この間の調査でもっとも衝撃的だった出来事は、フランスのオラドゥール事件というナチスによる住民虐殺事件の現場で、関係者から話を聞いたときだった。1944年6月にナチスドイツがオラドゥール村で約650人もの住民の無差別虐殺を行い、村を廃墟にした事件である。戦後にフランス政府は、この現場を虐殺当時のままに保存することを決定した。そのためオラドゥールには、事件当時の廃墟がそのままの状態で残されている。

オラドゥールのラクロワ市長(右)と遺族会のミロール会長(左)私たちはそこで、オラドゥール市の市長と遺族会会長から話を聞くことができた。その面談のときに二人は口を揃えて、ドイツには賠償も謝罪も求めることはしないと断言したのである。

「私たちはドイツに賠償を求めないし、謝罪することも求めない。」

「謝罪することは屈辱的なことであり、これを求めると感情的な問題になってしまう。」

「それよりも事実を正面から認め、歴史修正主義の動きに毅然と反対していくことの方が大切だ。」

「何よりも犯罪者が裁かれないのでは正義がなされたことにならない。」

「これらをドイツが誠実に実行しているのであれば、今のドイツは平和的であり、私たちは同じヨーロッパの一員だと信頼することができる。」

これには本当に驚かされた。謝罪や賠償よりも重要なのは犯罪者の処罰であり、歴史を歪曲しようとする動きに国家が毅然と反対していくことの方だというのである。

もちろんこれは、加害国家が謝罪や賠償をまったくしなくていいということではない。ドイツは例えばブラント首相が1970年にワルシャワでユダヤ人虐殺についてひざまずいて謝罪したことが象徴とされているように、過去に謝罪してきた実績があるし、賠償も行ってきた。そのような謝罪は、もう繰り返さなくてもいいという意味であろう。そして現在の観点は、言葉で謝罪を述べるとか金で賠償をするといった一過的なことよりも、二度と同じ過ちを繰り返さないための不断の行動こそが信頼の基盤になるとの指摘だと理解できた。

. ドイツとメルケル首相の「謝罪」

そこで現在のドイツが、過去についてどのように言及しているのかが気になった。ドイツは今でも「謝罪」しているのだろうか。

ところがこれを調べてみると、もう一つの衝撃的事実がわかった。実は少なくとも最近のメルケル首相は、「謝罪」の言葉など述べていないのである。

 

2008年3月イスラエル国会でのメルケル首相演説

例えばメルケル首相は、2008年3月にドイツ首相として初めてイスラエル国会で演説した。そのときの報道をみると、例えば見出しでは「独首相がユダヤ人虐殺を謝罪 イスラエル国会で」(共同通信)などと報じられている。これだけだと謝罪の言葉を述べたように見えるが、記事を見る限りでは次のような発言しかメルケルはしていない。

「ドイツの名で行われた600万人の虐殺を、国民全体が恥じている。犠牲者、生存者に対し私も頭を下げる。」

これは果たして「謝罪」だろうか。「恥じている」は謝罪と言えるだろうか。確かに「頭を下げる」とは述べているが、それは「謝罪」だろうか。「頭を下げる」という行為は、謝るときだけでなく、敬意を表するときにもするのではないだろうか。

2015年1月のメルケル首相演説

2015年1月、ポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所がソ連軍に解放されてから70周年記念の式典で、やはり過去の過ちについてメルケルが言及している。そこでのメルケルの発言は次のようなものだ(ハフィントン・ポスト記事)。

「ナチス・ドイツは、ユダヤ人らに対する虐殺によって、人間の文明を否定しましたが、アウシュビッツはその象徴です。私たちドイツ人は、恥の気持ちでいっぱいです。なぜならば、何百万人もの人々を殺害したり、その犯罪を見て見ぬふりをしたのは、ドイツ人だったからです。」

「お二人は、渾身の力を振り絞って、収容所でのつらい体験を語ってくれました。そのことに心から感謝したいと思います。なぜならば、私たちドイツ人は、過去を忘れてはならないからです。私たちは、数百万人の犠牲者のために、過去を記憶していく責任があります。」

日本のドイツ大使館のサイトには、このときのことが次のように書かれてある

「メルケル首相は、ナチス政権下のドイツによって迫害や虐待を受け、苦痛を強いられ、追放され、殺害されたあらゆる人々を挙げました。シンティ・ロマの人々、障害をもつ人々、同性愛の人々、強制労働を強いられたり、ドイツが侵攻した国で苦難を強いられた人々です。当時起きたことを思うと、『私たちドイツ人は深い羞恥の念にかられます』と首相は述べました。」

ここでもメルケルは、「恥の気持ちでいっぱい」「深い羞恥の念」とは述べているが、明確な「謝罪」の言葉には言及していない。これでドイツが謝罪をしていると言えるだろうか。

5. イタリア・チビテッラでのドイツ大使演説

事件直後のチビテッラ村の状況イタリアのチビテッラでも、やはり1944年6月にナチスドイツによる住民虐殺が行われた。このときは近郊の3箇所で合計244人が虐殺された。 このチビテッラ事件の記念式典に、2009年6月にドイツ大使が参列して挨拶した。かなり長いものなのだが、その冒頭は次のようなものだった。

「今日、第二次世界大戦中において、イタリアにおけるドイツ軍による虐殺の最悪のものの一つを、私たちはここに記憶する。

事実は周知のことである。聖ペトロと聖パウロの祝日(1944年6月29日)、たくさんの市民が教会に行こうとしており、農地での厳しい労働を中断し、祭りの一日を家で過ごそうと望んでいた。そういう時に、ドイツ軍がチヴィテッラ、コルニア、及びサン・パンクラツィオにドイツ軍が集まってきた。

無防備の市民を捕まえて殴り殺し、銃殺し、家もろともに焼却した。犠牲者の数ははっきりとは分からないが、244人に上る。その内訳は、115人がここチヴィテッラ村で、58人がコルニアで、71人がサン・パンクラツィオで。

戦時中のドイツ軍のイタリア占領がもたらした殺害と拷問と収容所送りの一連の流れの中に、この虐殺事件も組み込まれるだろう。

ドイツ大使として、私は、戦争の犠牲者、収容所に送られた人々、強制労働させられた人々、拘禁された軍人、そしてパルチザンたちに対して、確言する。ドイツ国家は、これらの人々に対して、深い後悔を表しているということを。

我々ドイツ人は、罪を感じ、そして悲しみと恥じらいを感じている。私も恥じている。しかし、戦後世代に所属する者として、私はあなたがたに申し上げる。あなたたちと同じように、私にとっては、ナチ・ファシスト党の人類に対する軽視の底知れなさを、私は理解できない。私は、知ると胸が痛む。ヨーロッパの中心で、12年の間『千年帝国』を作りつつも、このような野蛮な出来事が生じたということを。」

少なくともこれが、通り一遍の軽薄な言葉でないことは明確だろう。事実を正面から認め、それに対する懺悔の言葉を述べている。

しかしこれも、「謝罪」と言えるだろうか。メルケル首相と同様に「恥じている」とは表現しており、また「罪を感じ」・「深い後悔」とは述べているが、やはり明確な「謝罪」の言葉は最後まで出てこなかった。

. ドイツはなぜ「許された」か

ユダヤ人犠牲者のための「ホロコースト犠牲者追悼碑」(ベルリン)網羅的に調査したわけではないが、ここまでに至って一貫している以上は、少なくとも近年のドイツは「謝罪」の言葉を述べていない、と言わざるを得ない。ドイツが「謝罪」を繰り返してきた、という事実は実は存在していないのではないか。

ドイツが「謝罪」を繰り返しているわけではないのに、どうしてオラドゥールの人々を始め多くのナチスの被害国は、ギリシャなどの例外を除いてドイツに「謝罪も賠償も求めない」というのか。それはドイツがフランスやイタリアやポーランドと、「最終的かつ不可逆的解決」をしたからなのか。

答えは否である。むしろまったく逆だ。「最終的」でも「不可逆的」でもないドイツの一貫した姿勢が、被害国をして「謝罪も賠償も求めなくていい」と判断させているからだ。

過去の克服のためにドイツがやってきたことを箇条書きで記すなら、大きくは次のようなものだ。

1 事実を正面から認める

2 被害者に対する政府・企業の補償

3 加害者への刑事責任追求

4 歴史教育の徹底

5 加害の事実の教育施設

6 ナチスを肯定する言説の禁止

7 被害国感情への配慮

 

(1) 事実を認めること

ナチスの恐怖政治を展示した「テロのトポグラフィー」(ベルリン)言うまでもないことだが、上記のチビテッラ事件でのドイツ大使の発言も、加害の事実に極めて具体的に触れていた。メルケル首相の挨拶も、アウシュビッツからの生存者の発言に謝意を述べたり、ナチスの犠牲になった人たちのことに個別具体的に言及するなど、事実を正面から認めている点に特徴がある。

オラドゥールの市長と遺族会会長が、「事実を正面から認める」ことが大切だと指摘していたが、これをドイツは「日々」実践している。

(2) 刑事責任追求

ナチスの加害者に対する刑事責任追求が、現在もなお続けられていることは報道によって知っている人も多いだろう。このことが重要な要素だと、オラドゥールの二人は指摘していた。刑事責任を追求することで、ドイツが現在においてもナチスの犯罪を許さないこと、ナチスの罪業に反対することを明確にしているからだ。だから周辺の被害国は、ドイツを安心して信頼することができる。

(3) 歴史教育・教育施設

学校教育で、加害の歴史が明確に教えられていること、そして加害の事実を国民に伝える教育施設が充実していることも、ドイツを訪問することで身をもって体験することができた。具体的事例はここでは省略するが、私たちのような旅行者が短期間ドイツを訪問するだけでも、日常的にこうした施設を目にすることができる。そしてドイツの多くの人たちが、自らこうした施設に足を運んで過去の過ちを熱心に学んでいる。

(4) ナチスを肯定する言説

:「パリ広場」中央の戦後70周年特別展示(ベルリン)ドイツ国内で、ホロコーストを否定するような言説、あるいはナチスを肯定するような言説が、刑事罰として禁止されていることも重要な要素である。現実にドイツ国内で、アウシュビッツの事実を否定したり、ナチスを肯定的に捉えるような言論がなされたときは、世論が徹底的に批判するだけでなく、政府が自らこれを否定して世論喚起を行う。これがあるので、オラドゥールの二人も「歴史修正主義の動きに毅然と反対していくことの方が大切だ」と言っていたのだ。つい最近もヒトラーの『わが闘争』の再販を開始するのに際して、その記述が虚偽にまみれていることを逐一指摘する注釈をつけて売り出したことなども、その一つの表れだろう。

(5) 被害国感情への配慮

最後の「被害国感情への配慮」というのは、特にEUにおいて軍事貢献をすることに、ドイツが自ら配慮しているという事実だ。ドイツの軍隊は、かつてヨーロッパを侵略したことの反省から、実力行使することに極めて慎重な姿勢を続けている。周辺諸国から軍事貢献を求められて、初めて軍を動かすことが認められる。ここまでドイツは配慮している。

これらのドイツの「行動」。これが続けられているからこそ、周辺諸国はもはや「謝罪」も「賠償」も求めなくていいと安心できる。 重要なのは一過性の「謝罪」の言葉や「賠償」ではない。むしろ継続的なこの「行動」の方がはるかに重大なのであり、しかもこれには「最終」も「不可逆」もない。

ドイツは一度過ちを犯した。だからこそ、同じ過ちを繰り返さないための努力は、それこそドイツという国家が存在している限り、未来永劫続けられなければならない。この努力が続けられているから、周辺諸国も安心して「EUの一員として信頼することができる」ことになる。

. わが日本の現状

翻ってわが日本はどうだろうか。

(1) 事実を認めること

事実を正面から認めていると言えるか。第1次安倍内閣では、慰安婦の「強制連行」はなかったという閣議決定まで行って事実の否定を図った。慰安婦問題の本質は「強制連行」の有無ではないし、事実として慰安婦を強制連行した事実のあったことは、以前にこのコラムでも裁判所の認定した判決をもって論証した

ところが事実を認めるどころか、できるだけ矮小化しよう、否定しようとしているのが安倍首相と自民党であることに、疑問の余地はない。

ちなみに慰安婦問題における日本軍の責任は、今回の日韓合意が「当時の軍の関与の下に」などと軽く言及しているような程度ではない。実際には慰安婦制度は、軍が計画して軍が設置し、軍が計画的に管理運営していた制度だ。日本軍こそが「主体」なのであって、この程度の表現では事実を正しく認めたとは到底言えない。

(2) 被害の補償

被害者に対する政府や企業の補償がほとんど行われていないことも、否定しようのない事実である。中国戦後補償裁判でも、国は最後まで和解に応じようとしなかった。

(3) 刑事責任の追求

加害者への刑事責任追求の継続が、ドイツへの信頼の重要な要素だとオラドゥールの二人は指摘していた。しかし、日本でこれが実行された事実は、戦後、これまで、一度として存在していない。よく東京裁判が戦勝国による不公平な裁判だと批判する人がいて、私もそのとおりだと考えているが、だったら何よりもまず自分たち自身で加害者を裁かなければならない。その姿勢こそ、二度と同じ間違いを繰り返さないという国家としての意思表示のはずだ。けれども、日本でこれが行われた事実は一切ない。

それどころか、侵略戦争の責任者として処罰されたA級戦犯が合祀されている靖国神社に、首相自らが参拝に行くというのだ。要するに、本来なすべきこととは正反対のことを、日本はやっているということだ。

(4) 歴史教育・教育施設

歴史教育にしても、例えば河野官房長官談話では「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」と一応は表明された。しかしこれが実践されてきたか。今や慰安婦問題は、中学校の教科書にも記載されなくなってしまった。実際の「行動」としては、やはりやっていることが正反対なのだ。

そして日本国内に、加害と侵略の事実を教える歴史教育施設など存在していないことは、これまた顕著な事実である。国内には被害の事実の展示はあるが、加害の事実を正面から捉えた公的な教育施設などどこにもない。これもドイツとは正反対だ。ドイツに逆に、被害の事実についての教育施設があるという話を聞いたことがない。

(5) 加害の事実を否定する言説

そしてドイツのように、ユダヤ人虐殺を否定したりナチスを肯定的に捉える言説がなされたとき、それに対して政府が毅然とした反論を行うという実態が日本にあるか。これもまた正反対だ。むしろ慰安婦の被害の事実を矮小化し、あるいは南京大虐殺をなかったことにしようと策動している中心が、自民党であり安倍首相だ。安倍が後継者と目している稲田朋美がとんでもない極右でしかも重大なウソつきであることは、以前から繰り返し警鐘を鳴らしてきているとおりだ

つまりここでも、安倍政権のやっていることは正反対なのである。

(6) 戦争法案強行採決

最後に、周辺被害国への配慮という点ではどうか。これもまた、完全なる真逆の方向だ。周辺被害国への配慮もなく、国内での猛烈な反対も無視して、戦争法案を強行採決し自衛隊という軍隊の権限を拡大しようというのが安倍晋三のやっていることだ。

このように日本のやっていることは、本来なすべき方向とはことごとく正反対となっている。これでは、戦後補償問題が解決しないのは当たり前ではないのか。

. 「日韓合意」についての評価

そしてこの視点から見たときに、今回のこの慰安婦問題の日韓合意はどのように解すべきなのか。

実はこの視点からは、今回の合意は前進どころか、完全に後退してしまっていると評価せざるを得ない。

今回の合意は、事実を正面から認めたわけではない。むしろ河野談話と同じ内容を繰り返しているだけだ。

「日本政府は責任を痛感している」との文言があることを評価する意見もあるようだが、私には大したことには思えない。そもそも重大なポイントは、一過性の「謝罪」の言葉や「賠償」にあるのではなく、継続的な「行動」にこそあることは、ここまで述べてきたとおりである。

そして今回の合意の根本的問題点は、あたかもこの金を出すことで「最終的かつ不可逆的」な「解決」だとしてしまっているところにある。しかもこの合意には、河野談話にあったような「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」との文言が消えてしまっている。これは重大かつ看過できない後退である。

繰り返してきたように、オラドゥールの二人が「謝罪も賠償も求めない」と言っていた最大の理由は、ドイツが実際の継続的行動をもって、ナチスの犯罪を許さず、歴史修正主義の動きに敢然と反対し、加害の事実を繰り返し自国民に教え込んでいるその態度にある。これがあるから、周辺被害国は「今のドイツは平和的であり、私たちは同じヨーロッパの一員だと信頼することができる」のだ。すなわち河野談話のこの部分は、和解のために欠くことのできないまさに核心中の核心なのである。それがないのでは、加害者と被害者の本当の意味での和解は根本的に実現不可能なのだ。

. 慰安婦問題「解決」のための核心

現在この日韓合意については、日本の責任が「法的責任」なのか「道義的責任」なのかが議論されている。しかし私は実は、これがさほど大きな問題だとは思えない。むしろ問題は、過去の加害行為の事実を日本が正面から受け止められるかどうかにこそある。

例えば仮に、元慰安婦一人ひとりの被害の事実を日本政府がそれぞれ個別具体的に認め、日本政府が資金を出してその補償を行い、そして慰安婦制度を作ったり関与したりあるいは元慰安婦への虐待行為の責任者に対する刑事処罰を日本政府が今からでも実行して、学校教育でも慰安婦の受けた被害について疑問の余地のない教育を実施し、さらに国内に慰安婦の被害を展示する記念館を政府が複数開設して(慰安婦の少女像は日本政府が自らの費用で国内に設置すべき)、慰安婦の世界記録遺産登録は日本こそが積極的に推進したうえ、元慰安婦の被害を矮小化したり日本政府の責任を否定するような言説に政府がその都度毅然と反対するようになったとしよう。

そこまで実行するのであれば、その金が「法的責任」か「道義的責任」かなんて、もうどっちだっていいはずだ。元慰安婦たちも韓国の支援団体も、そんなことに拘泥するとは思われない。大切なのは、正面から過ちを認めて、二度と繰り返さないための真摯な努力を続けているかどうかなのだから。

もとはといえば、これは特段難しい問題ではない。多数の女性を強姦して殺したり重症を負わせた連続強姦殺人罪の犯人が、責任を認めて金を出してやるからこれを「最終的かつ不可逆的」解決にして、二度とこの問題について口に出すな、などと被害者やその遺族に対して言い出せば、これほどの醜悪で下劣な行為はないだろう。人間としてこんなことは、最低最悪のやり方だ。

それを臆面もなく国際社会でやっているのが、この日本という国なのだ。何という恥ずべき国家か、何という恥ずかしい首相だろうか。国際社会での日本の名誉を極限まで引き下げているこの売国奴首相の存在が、私は恥ずかしくて恥ずかしくて本当に穴があったら入りたい気持ちだ。

韓国政府が犯した外交的失策に便乗したこのような「解決」が、絶対に本当の「解決」になどなり得ないことは、このように明らかだ。そして河野談話にあった「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」との文言がなくなったことは、解決のための核心部分を欠くことになった重大な欠陥だ。この「合意」は解決どころか、まさしく深刻な「後退」に他ならない。

最大の被害者は、元慰安婦の女性たちだろう。彼女たちに、本当に申し訳なくて私は慚愧の念に堪えない。

10. 参議院選挙に向けて

今夏、いよいよこの国の岐路を決する参議院選挙がある。安倍晋三が目指している改憲は極めて危険であり、これを許容してしまえばこの国は一気に破滅への道を突き進みかねない。これは大げさでも何でもないと私は真剣に危惧している。

今回の慰安婦問題でも、日本をますます国際社会での恥さらしにしているのが売国奴安倍晋三首相だ。何があっても決して、このような売国奴の政党及びその補完勢力に投票してはならない。

 

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